2014年7月28日月曜日

二本木駅のスイッチバック

柏崎花火で疲れ果ててマルヨした翌朝、二本木駅に向かった。 信越山線に残ったスイッチバック駅なのだが、朝に1本だけ115系新潟車が二本木折り返しで設定されている。 二本木折り返しのため、スイッチバックこそしないが新潟色115系がスイッチバックの引き上げ線に入線する数少ない運用なのだ。


新潟地区の115系も長野から転入してきた115系に置き換わりつつある。この光景も、いつかは貴重な光景になってしまうのだろう…

もちろん長野の115系の記録も重要だ。やがては3セク会社保有のE127系に置き換わるのだから…

海と花火と115系と

久しぶりに晴れの日本海を見たくなり鯨波界隈へ

日本海の岩場にけなげに咲く花。 やがては115系もこの花のようになってしまうのだろうか…

切りとおしの先に広がる日本海、画に描いたようなポイントだ。

柏崎花火大会の臨時列車に充当される485系、心象風景のようなイメージで。

そしてメインは柏崎花火大会と115系。撮れる確証は無かったが、チャレンジしてみて正解だった。
花火のあとは疲れ果ててマルヨとなった。 半裸で浜辺を歩き回ってた結果、背中が真っ赤でヒリヒリしているw

2014年7月23日水曜日

懐かしの115系湘南色

私は国鉄全盛期の115系を知らない。普段は地域色に塗られた新潟地区の115系が撮影の中心だし、長編成の115系と言えば宇都宮・高崎線の晩年の姿を見かけたぐらいしか記憶に無い。
だが、鉄道ジャーナルの列車追跡シリーズ等の国鉄時代の記録には必ず荷物電車の姿が載っている。往年は高崎~上信越方面の普通列車も、長編成の115系に荷物電車をぶら下げた編成で運転されていたのであろう。
そんな国鉄時代を想像しながら、シャッターを切った。










国鉄が分割民営化されてから20年以上経ち、国鉄を引きずっていたJRも急速に国鉄らしさを失いつつある。 今回のような臨時列車が設定できるのもあとわずかなのだろうか…

2014年7月22日火曜日

幸せ?

無くなる電車を記録することは、鉄道趣味の根源的なテーマだと言われている。 秩父鉄道で言えば、1000系電車が記憶に新しい。 ところで鉄道車両の一生は様々だ。 30~40年の平均的な寿命をまっとうして解体されるクルマ、第一線を退いてからも支線区や地方私鉄でボロボロになるまで働き続けるクルマ、そして現役を引退してから野ざらしで安住するクルマ… 重機で解体される様は残酷であるが、他方ボロボロになってまで使いこまれるのも酷だという意見もある。 いったい車両にとっての幸せとはなんだろうか、時々わからなくなる。




2014年7月7日月曜日

白久界隈

今週も冴えない空模様、秩父鉄道の中でも山区間での撮影が多くなるわけだ。このところ武州日野がヘビロだったので、一駅お隣の白久界隈で撮影することにした。 

有効長いっぱいの片面ホームは、どう切り取るか悩むところ
 

しっとりした情景が点在するのが嬉しい

 今週もパレオエクスプレスは失敗、一旦秩父の街中で休憩してから白久駅に再度出撃。

やはり画になる時間だ


そして静寂が訪れた


駅の狭さゆえにあまり撮影したことの無かった白久駅だが、撮りはじめてみると中々面白い。 1000系が引退したためのココロの余裕なのだろう。 それにしても、最近サリュー・サリュートのkiev-23さんによくお会いしている。 もとより、秩父鉄道で普通列車も含めてまったり撮影している同業者が少ない上、お互い影森-三峰口の山線区間を中心にツボをおさえて活動しているためであろう。